人工知能を語る上で知っておきたい歴史的な哲学的議論

人工知能は、かな昔からその実現性に関する議論が行われてきました。また、人工知能らしいものができたとして、何をもってそれが知能を持ってると判断するのかなど様々です。人工知能を研究したり、勉強する上でこれらの議論を頭の片隅においておくことは大事でしょう。

本記事では、有名なこれらの人工知能における歴史的哲学議論をいくつか紹介していきます。

1、チューリングテスト

『機械が知的かどうかを判定するテスト』

チューリングテストは、1950年代アラン・チューリングによって、論文『Computing Machinery and Intelligence』の中で提案された機械が知的かどうかを判定するテストです。

このテストでは、1人の判定者と1人の被受験者(人)、1台の被受験者(人工知能)におけるテストです。 判定者は、人と機械に会話を投げかけ、その返答が人間によるものか、もしくは機械によるものかを判断できるかテストします。 このとき、交信のための手段としては、判定者が音声による人間と機械の区別をすることを避けるためにディスプレイに映しだされた文字を用います。

2014年、ロシアのスーパーコンピューターが「13歳の少年」として、参加し、はじめて人間と間違われる結果となりました。

このテストによる機械の知性判定の是非は、多くの哲学者が納得したものの、一部の哲学者は、反対を示しました。その反論としては、単に大量のデータや情報の照合を行なうコンピューターも、知性を持たずとも知的である判定される可能性があるとのことで、その反論として、『中国語の部屋』という考えが提示されました。

ここで、知性を備えていないけれども、大量のデータや情報の照合によって人工知能のように見えるコンピュータープログラムを『弱いAI』、一方、知能・知性を備えたコンピュータープログラムを『強いAI』と呼びました。

 

2,中国語の部屋

『思考実験』

中国語の部屋という思考実験では、外と紙きれをやりとりする小さい穴が空いた部屋において、アルファベットしか分からない英国人を閉じ込めておいたとき、この英国人に中国語が書かれた紙切れを渡します。このとき英国人に中国語は意味不明ですが、あるマニュアルに従って、ある特定のパターンの記号に対して、特定の記号を付け足して外部にその紙切れを渡すとします。この作業をひたすら繰り返すとしたとき、部屋の外にいる中国人からみたら、部屋の中には中国語を理解する人が存在するように見えることから、チューリングテストへの反論としています。

この思考実験は、コンピューターのアナロジーであり、部屋というのがコンピューターでいうCPUを暗示しています。

この思考実験による主張は、機能的に会話ができたところで、意味論的理解は十分ではないという点でした。

このように人工知能分野では、哲学的な観点からも古くから人工知能が作れるのかに関する議論が行われてきました。上の2つの哲学的思考では、人工知能ができたときに、それは知的であると認められるかどうかという議論でした。

しかし、そもそも人工知能らしきものは実現できるのかという議論があり、この議論を考える上で重要な問題の1つにフレーム問題があります。

3,フレーム問題

『人工知能の実現可能性に関する議論』

知的なロボットを機械的に作るとした場合、機械の処理できる能力はどうしても限界があります。

したがって、ある問題を解くときには、一定のフレーム(枠)内で問題を定義して処理する必要があります。 しかし、実際には、実世界で起こりうる事象は無限にあるため、すべての事象を1つ1つフレーム内にいれるかどうかを処理するだけで、ロボットの処理能力は追いつかなくなってしまいます。 これがフレーム問題です。

この問題においては、人間の知性がどのように処理しているのかということは解明されておらず、さまざまな議論が存在します。

この問題をもとに考えると、上で述べた弱いAIはあらかじめフレームを特定してそのフレーム内における特定条件下で動作する人工知能と考えることができます。


 

この他にも近年では、人工知能技術の実用が進む中で『トロッコ問題』といった議論も重要な検討課題になってきています。

これらの内容は、こちらの書籍に記述したので、目を通して理解を深めて見て下さい。